【源泉交滸】さんからの投稿
現在進行中の当市の図書館整備計画は、現、副市長の福田豊明氏と生涯学習部長の福田伸ー氏(ぷくぷくコンビ)の「2馬力」で強硬に推進されつつあるように見受けられます。しかし、公共事業は出発点の動機と段階を踏んだ“正しい手順”が大切です。
当局は「思い描く図書館づくり」をキャッチフレーズに「問題解決型図書館」を目指すとしていましたが、「問題解決型図書館Jと言った言葉には、中身の実態が無いことにやっと気付いたのか、この看板を目立たぬようにそろりと降ろしてしまいましたが、未だ「思い描く図書館づくり」は、当局のお気に入りの言葉として健在な様です。しかし、中身の実態が伴わない甘口の言葉は、流行りのロマンス詐欺の手口に似ていて気を付けなければなりません。(園されてから気付いても取返しはできません)。従って「思い描く図書館づくり」についても同じことが言えます。「思い描く図書館づくり」とは「市民」の思い描く図書館ではなく、「当局」の思い描く図書館を示唆していることになっていると言う事です。
このレトリックで、いかにも市民の夢を叶え実現するかのように見せながら、実は当局は “当局者自身の夢’’を追いかけているという事です。(ただ市民の名をだしに使っているだけ)。では、’’当局者の夢‘‘とは何を指すのでしょうか。これが’’問題の核心“ですが、それは全体を 一言で言い表せるほど簡単でないところが厄介なところです。強いて言えば、当市の政治と行政に関わる重くて深い構造課題の中に存在しているからだと言えます。
「李下に冠を正さず」との諺もあるよう、君子は事の未だ起こらない前に、その起こるべき弊害を防ぐ。従って、李の木の下で手を挙げて冠を正さない。李を取ると見られることを恐れるからと、嫌疑を避ける喩えにあるように、他者に疑われないように行いを慎む事です。それは逆に言うと、他者に疑いを抱かせるような行動は、疑われても仕方がないと言うことです。また別の言い方では「君子は未然に防ぐ」との諺もあり、「危機管理の要諦」を古の聖賢は述べております。しかし今、当市の危機管理の総責任者(危機管理官=副市長)がこの轍を踏んでいるように見受けられることは誠に嘆かわしく、かつ残念な現実です。冷めた目で見ると、今や当局者は「独裁者」の様相にあります。独裁者は“自分第一主義”で様々な弊害を周辺にまき散らします。まず、自己の意見を正当化するために他者の意見は聞き人れません。自己の意見に反する者に対しては、あらゆる手を使って敵対して攻撃します。または無視するか握り潰すかして、正当な意見をも封じ込めて独善的と成り、自己に都合の悪い意見は捻じ曲げてでも“自己第一主義“の実現に邁進し、持論の正当化を強化して、時にはでっち上げてでも、自己の権利・権限を最大に行使してくることで、ますます独裁的性向を強めていくものです。このような現象は現在進行中の図書館整備計画から見えてくる現象ですが、この現行の図書館整備計画をつぶさに観察することで浮き出て見えてくる現象であり、この現実はそのまま、当市の政治・行政の落とし穴と言えるでしょう。