伊達直人さんからの投稿
京都選出の国会議員,西田昌司氏の『ひめゆりの塔』を巡る展示説明を『歴史の書き換え』とした発言が波紋を呼んでいます。
『ひめゆり学徒隊』とは、沖縄戦で日本軍に動員された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222人と教師18人。
沖縄本島への米軍上陸が迫る1945年3月に、本島南部の陸軍病院に配属され、壕(ごう)内で傷病兵の看護などを担った。
戦況悪化後の6月18日に解散命令が出され、戦闘に巻き込まれたり、手りゅう弾で自決したりして教師13人を含む136人が死亡。
生存者らが『ひめゆり平和祈念資料館』を設立し、体験を語ってきました。
舞鶴市においても、『引揚記念館』があります。
西田昌司議員の発言をきっかけに、ここ『引揚記念館』も平和の尊さを広く発信する目的で開設した記念館なので、極寒の地において劣悪な環境状態で強制労働を強いられた抑留者の方々の史実を再勉強しょうと、私は来館しました。
以前に『やばいぜ!舞鶴』のブログで、引揚記念館が『観光目的』に成り下がっている現状を投稿した思いも踏まえて、記念館に行ってきました。
入館料400円を受付で払いました。
受付には二人の女性職員がおられたので、この記念館が『観光目的』と位置付けるのは、市民として納得しがたい!と自論を話していると、『女性語り部』の方が横を通られたので館内を案内してもらいました。
語り部の方の説明を聞いて、再認識したことが2つありました。
1つ目は、ソ連軍に『東京に帰れるぞ!』と嘘をつかれ強制連行されたのが『シベリア』だけではなく、『ウクライナ』や『ジョージア』『ウズベキスタン』『カザフスタン』などの中央アジア全土にわたって連行されて、強制収容所に入れられたこと。
2つ目は、この『引揚記念館』が日本全国から『寄付金』を受けて開設したことです。
帰り際に『副館長』とお話しすることができました。
しかしながら、その対応は『来館者』への対応とは到底思えないものでした。
私が受付で『記念館を観光目的』にしてはいけない!と言ったことを知った上での『副館長』の対応だったと思います。
事務所から出てこられた時、不機嫌そうな表情をされていました。
私が言葉を発すると、いきなり『何が言いたいの?』と攻撃的な言葉が返ってきました。
そこで私も、『この引揚記念館が組織上、産業振興部ではなくて、文化振興部に入るべきでは?』と尋ねると『そんなこと知らんがな〜,市長に聞いてくれ!』と『副館長』とは思えない言葉を発せられ、私は呆気に取られました。
『シベリア抑留』と『引き揚げ』の資料が、『ユネスコ世界記憶遺産』に登録されて展示してある記念館の『副館長』である自覚は、果たしてあるのでしょうか?
ハラスメント研修を受けていない『市長』『副市長』『教育長』はじめ、鴨田市政の執行部の面々は、再度『引き揚げ』についての史実を勉強し直す必要があります!
舞鶴市は『シベリア抑留者』は勿論、『ひめゆり学徒隊』『特攻隊』などなど、80年前の太平洋戦争において犠牲になられた英霊に対して、感謝しなければなりません。
舞鶴市民としては、今の平和と繁栄は多くの尊い犠牲の上に築かれたことを決して忘れてはいけない!のです。