防災は市民主導でやるしかない!
行政=防災のプロという大きな勘違いが招いた舞鶴の防災事情
2011年(平成23年)に発生した東北地震から8年目を迎える今年2019年、未だに
舞鶴の防災は東北地震の時から全く進歩していません。
私は東北地震をきっかけに2011年から防災活動をおこなっています。
その間、官民共同という言葉が流行しました。
官と民が 規制や指導の関係ではなく、 対等なパートナーとして 「協働」 する関係に立つもの という言葉です。
その言葉を信じて防災活動をおこなってきましたが、相変わらずの縦割り行政で、市民は行政の指示に従えばよいという風潮は未だに変わりません。
舞鶴市でも自主防災組織、消防団の拡大という目標で防災活動をおこなっていますが市民への周知は皆無、地域の有志により設立された自主防災組織もほとんど活動が無いまま活動を休止する団体も多いです。
期待の消防団も年々縮小傾向になっています。
しかしながらこれは当然の結果なのです。
なるべきしてなった結果です。
これは行政=防災のプロという大きな勘違いが招いた結果です。
舞鶴市内の自主防災組織の一例
私が過去に市民として設立に関わった自主防災組織が舞鶴にありますが現在は活動をおこなっていません。
立ち上げて1回だけ防災訓練をおこなっただけで活動休止状態です。
四苦八苦して作り上げた自主防災組織ですが設立の過程で行政の支援はほとんど無く、設立に関してのアドバイス等はほとんどありませんでした。
何とか自主防災組織を立ち上げても支援等は同じくありませんでした。
2回ほど地域に担当者が来て資料を読み上げるだけ、具体的な指示も無いも無いまま一般的な防災訓練をおこない終了です。
消火訓練や起震車の体験などは行いましたが、それが役に立つかどうかは疑問です。
その後大きな活動は無いまま、自然消滅的に活動は停止、現在は活動していません。
舞鶴に防災活動がひろがらない3つの理由
自主防災組織立ち上げにたずさわり分かったことは3つ
1.防災は難しいものだと思われていること
2.防災が難しいのに教える人が少ないこと
3.防災を難しい言葉で伝える人々が多いこと
つまり防災は難しく困難なものであると多くの人たちが認識している事が問題だったのです。
防災を難しく、困難なものとして認識させる要因はどこにあるのでしょうか?
責任逃れのための防災
役所に地域の防災について問い合わせてみましょう。
そうすれば分かります。
曖昧な回答で誤魔化せされるはずです。
舞鶴市民が望む回答は帰ってきません。
それはなぜでしょうか?
答えは
「万が一間違ったことを言って責任を取りたくないから」です。
行政の担当者は数年で変わります。
あえて難しい問題に取り組んで誤っていたら誰がどう責任を取るのか?
数年で担当が変わるのなら自分の担当期間だけ無事に過ごせれば良いというのが大半の行政の考え方です。
この責任逃れの為の防災が舞鶴の防災をややこしく、難しいものにしているのです。
責任は取りたくないが業務としての成果を出さなければいけない現状の防災システム
舞鶴市の人事評価は厳しいもので成果は常に求められる、しかし失敗が恐いし、間違って責任は取りたくない。
その結果、管理も指導も出来ない自主防災組織ができあがっては自然消滅する
という負の連鎖ができあがってしまったのです。
評価対象としての防災
災害時に機能しない自主防災組織だったとしても行政の担当者に対する評価としては+1増加です。
活動休止していても-にはならないです。
今ある自主防災組織の力を高めるよりも新しく作る方が評価は高くなります。
(実際には教えて高める技能が無いのも事実)
ということで自主防災組織の増加は目指すが、中身の充実はおこなわない(おこなえない)と言うことが現実に起こっています。
とりあえず「自主防災組織作っとけば担当者の評価アップになる」という仕組みになっています。
だから真剣に取り組まないのです。
舞鶴の防災はどうなるの?
8年間にわたる、私の防災活動の経験から言えることは、このままでは舞鶴の防災は立ちゆかなくなるということです。
自主防災組織が機能しない問題以外にも、気象変動により天災リスクは増加していますし、隣接の高浜、大飯町の原発リスクも心配です。
地理的にも海と山に囲まれて由良川という大きな川もある舞鶴市は防災的に非常に厳しい地域です。
治水工事、災害対策工事も必要とは行政も分かっていますが莫大な予算の問題があり解決する事は不可能です。
民間の力で防災力を高める方法とは?
では我々市民はどうしたら良いでしょうか?
このまま手をこまねいて待っているだけでは駄目です。
民間の力で防災を代えていかなければ家族の安全を守ることは出来ません。
防災=行政という考えを捨てて民間の力で防災力を高める方法は実は沢山有ります。